ビリティス
何から思い出そう・・・「BILITIS」
遠い遠い過去の物語。
記憶の螺旋階段を昇り始める
毎日新聞の夕刊に載せていただいたことがある。1987年だ。ずいぶん昔のことなのに、自分の中では昔にしたくない思い出だ。新聞の一面に載るなんてことは、よっぽどの大罪でも犯さないかぎり、私には無縁な気がする。そんな光栄な機会を与えてくださったのが、やなせたかし先生だった。私は作詞家になりなさいと言われたきり、一度も連絡をせず、助けを求めることもなく、作詞家への道を歩んでいた。
そして、シングルデビューが決まったとき、私ははじめてやなせ先生に会っていただいた。デビュー作の『SAND BEIGE - 砂漠へ-』のレコードを持ち、
私はあの日、作詞家になんてなりたくないと思い、泣きながらのぼった坂道を歩いていた。
その日やなせ先生が見せてくださった画集が東逸子さんという方の絵だった。私は見た瞬間、魅了されてしまった。繊細で深い筆づかいは私の心の目を釘つげにした。その画集を見ていたとき、やなせ先生が
「あなたを紹介しよう」と独り言のように仰り、後日毎日新聞の編集部から私に連絡が来た。私の記憶では、毎日新聞の同じコーナーで東逸子さんを拝見したように思う。気のせいかもしれない・・・。
私は東さんの絵をもっと見たいと思い、そして本屋でとにかく東逸子というだけで、そこにあった数冊を購入した。
その一冊が「ビリティスの恋唄」だった。
これが私と「BILITIS」との出会いだった。 (つづく)
※パソコンが不調で変換、保存などすべてに時間がかかるので、少しずつ書いていきます。つづきはまた後ほど。
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