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夢をあきらめるとき

叶わないかもしれないと思いつつも、あきらめきれないとき、
人はどうすればいいのだろう。
自分から下りてしまえば、ダメージは本当に少なくてすむのだろうか。
ひきづり続けることは、ダメージではないのだろうか。
それでもあきらめきれないときは、夢をおいかけるしかないのだろうか。
人は叶わない夢は見ないと言います・・・。


「宝塚BOYS」を観てきました。
チケットは売り切れで、PA前席まで開放したほど人気の芝居です。
チラシから抜粋すると

“女の園”タカラヅカに「男子部」があった
1945年・特設 1954年・解散
懸命に頑張った男たちの青春グラフティ

友達がこれを作るといった時、
おもしろくなるといいけど、と内心思いました。ごめん!
彼の視点はいつもおもしろいけれど、映像化したり
舞台化すると、なんか違うなと私は感じてしまいます。
それは直接話してもらったときに私が思い描く内容と
現実に目にしたときとのギャップなので、
どうしようもないことなのです。
それでもお花畑といえば地球全体がお花畑!を想像してて、
完成した映画を見るとなんだ公園全体がお花畑なだけ?小さいねーみたいな、自分勝手なギャップが生まれています。
だからイメージや想いやエネルギーは分散してしまっていて、
彼のスタッフや役者さんたちは、ファンの私には物足りないのです。
そんなわけで、期待しないというのが、満足を得る手段になるわけで。
またまたごめん!
プロデューサーの包容力は、本当に果てしないです。
そして何に対しても、
ほとんどストレスを感じないところも、本当に素晴らしいです。
うらやましいし、人として、憧れます。根っからのクリエーターです。
ど真ん中の席で、ひとりで観ました。
「西田○○さんが、急に観たいっていうから、
席取らなくちゃいけなくて」
この芝居の注目度は、そんな状態です。
思う通りにならないことへの怒り、苛立ち、焦り。
こんなものが心の中には眠っていて、思った以上に自由を束縛します。
達成感を得るために、拘束した自分の時間、
夢を見るために引き換えにした人生。
これでよかったんだと思う人生の位置は、どこにあるのでしょう?
もう、止めようと、自分でスッパリ切ることができたらどんなにいいでしょう。
ストイックじゃなくちゃ、ちょっとムリムリ。
夢なんか、見なければよかった。
心はそんな風に、流されていきます。
私の心をこんな風にスムーズにスライドするのは、珍しいです。
これが事実のすごいところだし、
それを正確に伝えている役者さんたちも偉かったです。
泣きました。
となりで携帯の電源を切らないで観ていたおばさんも、
鼻をすすっていました。
その時代に飛んで行きたいくらいです。
なんか、悔しかったです。
真綿で首を絞めるように、じわじわと苦しいの。
じゃあ、どうやって生きたらよかったんだよ!
私は一升瓶をかかえて、暴れたい気分でした。
あっ、私お酒はあまり飲めません。
帰りに藤岡藤巻に会ったけど、そんなことはどーでも良かったです。
あきらめはどんなエネルギーになるのでしょうか?
なんか、画家として駄目だったヒットラーの気分になりそうなくらい、
モヤモヤしました。破壊したくなります。おさえておさえて。
今も思い出すと、ちょっと悔しいです。
男には女よりも、こういう場面が沢山あるのだろうと思います。
社会で自分を確認する男には、大変なストレスだったでしょう。
それでも私は思います。
人はね、叶わない夢は見ないんだよ。
だからきっと、夢じゃなかったんだと思います。
「宝塚BOYS」は現実です。
宝塚、女との勝ち負けではなく、アーティストとして、
何かが足りなかったのかもしれません。
時代とのタイムラグも、大きく影響していると感じます。
まだ私が生まれる前の話です。
歌って踊る男といえば、すぐ思いつくのは、ジャニーズでしょうか。
涙が止まりました。
宝塚男子部、偉かったと思います。
人生は一度きりなんだって、深く沁みました。
私には得るための努力が足りないかな、と思いました。
もっと素直にならなくちゃ、と思いました。
市村さんが描き続ける人間を、これからも楽しみにしています。
本当に私の周りには、本気の素敵な人たちがいっぱいいて、
この頃は出会いもたくさんあって、つながって、つくづく幸せです。

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